2006年 07月 05日
昨日の21時を少し回った頃。某国営放送のニュースを見ていた 画面の上に「ニュース速報」のテロップ。 何気に流すように画面を見ていた次の瞬間、思わず立ち上がってしまうほどの衝撃。 "サッカーの中田英寿選手 自身のHPを通じて現役引退を表明" 唖然としてしまった。 慌ててPCに飛びつき"NAKATA.net"繋いでみる。 当たり前だ、つながるはずがない。 毎日中田のネットに訪れる熱心のファンから、八百屋のような普段殆ど見ることもない「サッカー好きの人」まで、その瞬間のアクセスは数百万件に上ったという。 この時、八百屋は中田のHPを見ずにこの事をブログにアップしようかどうか迷った。 一応一介のサッカー好きとしては、このような大事件をいち早く取り上げずにいては「もぐり」と思われてしまいそうだ。しかし、彼本人の気持ちも知ることなく、八百屋の私見のみアップするというのは、果たしていかがなものか?(←鈴木宗男風に) 結局、"NAKATA.net"に繋がったのは日付も変わった0時過ぎ。彼が現役引退を表明したページにのみアクセスが出来るという緊急措置が取られた随分後だった。 3回ほど繰り返し読んで様々な思いが去来した。そして八百屋は、その日には取り上げず1日仕事をしながら自分の考えをまとめてアップしようと決め。もうこんなタイミングで誰も取り上げないよ、と言う今、取り上げることに決めた。 色々な思いが去来したが、その中で気持ちに"ふるい"にかけた結果、中田英寿の功績を認めつつも"こうして欲しかった"という我がままと"これからの中田英寿を楽しみにしていた矢先のショック"の二つだった。 彼のキャリアは、U-17から現在のプレミアリーグのボルトン所属まで、実に華々しく、そしてこれほどまでの実績を築き上げた日本人プレーヤーはそうはいないと言えるほど、素晴らしいものだった。A代表でもその存在は特筆に値し、W杯の直近3大会は彼を中心にチームが作られたと言っても過言ではない。勿論この3大会の10試合全てに彼が出場しているのがそれを雄弁に物語っている。 そして、彼のサッカーを通じての活躍は、老若男女全ての世代に「サッカー」というスポーツを紹介しそして普及させてくれた。ちびっ子は中田を夢見てサッカーをする子が今まで以上に多くなり、深くサッカーを見るものから、失礼な言い方ながらミーハーファンまで多くの人々の注目を集めた。 そして、彼の海外、とりわけカルチョの国"セリエA"での活躍は後進への扉を大きく開けるきっかけとなった。イタリア中南部のプロビンチア"ペルージャ"に移籍してのデビュー戦が、あの名門ユベントス戦だったのだが、本人の2ゴールを含む鮮烈なデビューでユーベに4-3と後一歩のところまで追い詰めた。この後ユーベ戦では特に大きな活躍を残し、程なく彼が「ユーベキラー」と言われるようになったのは記憶に新しい。 また、名門ローマに移籍してのスクデット獲得に大きく貢献したこれもユベントス戦。ローマの絶対的に存在、フランチェスコ・トッティに代わって登場した中田は、ホームながら0-2という劣勢を跳ね返し、自身1得点を含む2点に絡む活躍をし、同点に持ち込んだこの活躍は、今も語り草となっている。ガゼッタ・デロ・スポルトによる翌日の採点は7.5。余程の活躍をしない限り、しかも同点でこの点数は出ない中、彼がMan of the Matchに選ばれたのは言うまでもない。 そんな"世界"を知る彼に、八百屋は大きな期待を寄せていた。 それは、プレー面だけでなく"気持ちの面"で日本代表を引っ張って欲しかったこと。 これは、皆さんからの批判を覚悟で言わせてもらいたいのだが、特にW杯06大会前、彼はA代表を引っ張ろうと、様々なメディアを通して"苦言"を呈してきた。時には「代表は仲良しの集団ではない」「戦う気持ちが足りなすぎる」といった辛辣なコメントもあった。 それは決して多くを語ることを好しとしない彼の精一杯の責任を全うしようとするための発言だったことは承知の上である。しかし、メディアがそれほど取り上げていなかったが、彼が今大会の代表の中で、見た目以上に"孤立"していたのは明らかな事実だった。 監督のジーコを初め、今大会のメンバーから考えれば精神的な面を考えれば今大会は「彼1人で」臨まなければならなかったかもしれない。それくらいに孤軍奮闘していたのは大きく認める。気持ちが伝わってきたのもよくわかる。 しかしながら、サッカーは11人でやるスポーツ。1人で気持ちをむき出しにしても勝てないものだ。世界を知る彼が、プレーで日本代表を引っ張るだけでなく"ハートで"引っ張っていたのも充分に理解できる。自分にも他人にも厳しく接し、常に先頭に立ってプレーを行ってきた彼の姿は痛々しくもあった。 だが、世界を知る彼だからこそ、そこに行き着くための大事な"ハート"をもっと別の方法でみんなに伝えて欲しかった。それを臨むことは中田英寿と言う人格を否定することになるかもしれない。 比較をすること事態、ナンセンスなのだろうが、八百屋が常に比較してしまう人物に、メジャーリーグのマリナーズに在籍するイチローがいる。今年、初開催となったWBCで、韓国に2敗するという苦難を乗り越えて(少なからずの幸運はあったが)優勝できたのは、このイチローがチームをまとめた役割が事の外大きかった。八百屋は、彼のような役割をずっと期待していた。しかし、それを臨むこと自体ナンセンスなのも判ってはいたのだが、同じ"世界"を知るイチローが、WBCのチームで果たした役割は小さくはなかったと思う。 話は少しそれてしまい恐縮だが、中田が10年に1人の逸材であったことは紛れもない事実。プロのキャリアや日本代表のキャリアから「世界」をこれほど知っているプレイヤーはいなかったはず。そんな彼だからこそ、勝利へのメンタリティーをもっと違った方法で余すことなく伝えて欲しかったと思うと、とても残念でならない。 ただ、八百屋はこれからの中田英寿をすごく楽しみしていた。 常に模範でならなければならなかったA代表を引退することで、残りのキャリアは、プロとしてのフットポーラー、いや彼の場合はどうしてもカルチャトーレという表現の方が似合っているか、の中田英寿を全うできる。代表やリーダーと言うプレッシャーから解放され、自身のサッカーに打ち込める環境に中田がどんなプレーをしてくれるのか、ボルトンに残留するにしろ、セリエAに戻るにしろ、第2の人生を思いっきり暴れて欲しかった。サッカーを通じてまた彼の海外での八面六臂の活躍をものすごく期待していた。八百屋個人としては、キャリアのピークと言ってしまうと怒られるかも知れないが、ペルージャやローマ在籍時の"輝き"が戻ることを切に願っていた… が、それが叶うことはなかった。 プロはいつしか自分のプロ人生に線を引くときが来る訳だが、彼は29歳と言う若さでそれを決めた。 29歳、勿体無い、まだ若いじゃないか。 とは八百屋は思わない。 様々なプレッシャーに耐え、非難や罵声にめげることなく、多くの責任や重圧と戦ってきた彼のキャリアは、今、彼が幕を下ろそうと思うのならそれが適時。 我々に多くの感動とサッカーの素晴らしさを伝えてくれた中田に本当に感謝したい。 そして、自身が言うところの「新しい旅」が、また実りあるものになることを心より祈りたい。 20年余の間、本当にお疲れ様でした。
by 5aday
| 2006-07-05 03:41
| サッカー日本代表
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